>>「あの頃を忘れたのですか?橋下さん」大阪維新の大阪府議が橋下徹氏に反論「身内の支えでここまできたのが維新」
このYahooニュースの記事を読み込ませて書いた記事です。加筆修正、改行、文字装飾等、一切していません。出力したモノをそのまま貼り付けています。
従来どおり、タイトルとディスクリプションも出力します。以下、そのまま出力されたモノです。
★★【タイトル】橋下徹氏と西野府議の論争。「身内びいき」は悪なのか?効率と本質を考える★★ ▼▼【ディスクリプション】橋下徹氏が維新・藤田氏の公金支出を批判し、西野府議が「本末転倒だ」と反論。この「身内びいき」論争から、ルールの本質と効率性について考えます。▼▼
It is like a finger pointing away to the moon. Don’t concentrate on the finger or you will miss all that heavenly glory.
それは月を指す指のようなものだ。指に集中していては、その美しい月を見失ってしまうぞ。
by Bruce Lee
いやー、興味深いニュースが飛び込んできました(笑)
大阪維新の会の内部で、ちょっとした論争が起きてるみたいです。
発端は、日本維新の会・藤田共同代表の「公金支出」の問題。公設秘書が代表を務める会社に、印刷物などを発注していた、と。
これに対して、創設者の橋下徹氏が「それはアカンやろ」とX(旧Twitter)で連日厳しく指摘しています。公私混同に見えるし、透明性が大事だと。
まあ、普通に考えたら「そりゃそうだ」って話ですよね。
でも、これに大阪府議の西野弘一氏が「あの頃を忘れたのですか?橋下さん」と真っ向から反論したのが面白い。
西野氏の主張は、「値段も質も同じなら、納期や手間で選ぶのは当然。結果として身内企業になることがあっても、それは間違いじゃない」「むしろ『身内だから』と排除してコストが上がる方が不誠実だ」というもの。
いや、僕は別に維新の会の肩を持つとか、そういう政治的な話がしたいんじゃないんです(笑)
この論争って、僕らみたいなビジネスや、もっと言えば人生そのものにおける「本質はどこにあるのか?」という超絶に重要な哲学的な問いを含んでると思うんですよね。
「ルールや体裁」と「中身や効率」。どっちが大事なの?っていう。
ブルース・リーの言う「月を指す指」の話。多くの人が「指」(=身内企業を使ったという事実)ばかりを見てるけど、本当に見るべき「月」(=公金は適正に使われたのか?無駄はなかったのか?)を見失ってないか?って話です。
Contents
西野府議のロジックと「本末転倒」の罠
まず、西野府議のロジック。これはもう、ビジネスの現場感覚からすれば「そりゃそうだ」の塊です(笑)
彼は「値段が同じなら、より質の高いものを選ぶのが筋」「値段も質も同じなら、次に見るのは納期や、自分の手間が省けるかどうか」と言っています。
これ、フリーランスや一人親方、中小企業の社長なら、もう痛いほど分かる感覚じゃないですかね。
例えば、僕が大事なクライアントのサイト制作を請け負ったとします。
- A社:全く知らない会社。実績は普通。見積もり50万。納期3ヶ月。打ち合わせが面倒くさそう。
B社:昔からの友人。超優秀なデザイナー。見積もり50万。納期1.5ヶ月。「コトリさんの頼みなら、こういう意図っスよね?」とツーカーで話が通じる。
さあ、どっちに発注するか。
僕なら1秒も迷わずB社(友人)に発注します。
なぜなら、それがクライアントにとっても僕にとっても「最も効率的で質の高い結果」を出せる可能性が一番高いから。
もしここで「いや、友人に発注するのは『身内びいき』と見られるから、あえてA社にしよう」なんて考えたら、それこそ西野氏の言う「本末転倒」ですよ。
それはまるで、「東京から渋谷に行くのに、一度沖縄を経由する」くらい非効率な話です(笑)
「身内だから」という理由だけで優秀な選択肢を排除するのは、合理的な判断とは言えません。
橋下氏が指摘する「感情」と「空気」の問題
と、ここまで西野氏のロジックを擁護しました。
でも、ぶっちゃけ、橋下さんの言いたいことも、これまた痛いほど分かるんです。
なぜなら、西野氏のロジックが「民間企業の効率論」であるのに対し、橋下氏のロジックは「公党(しかも税金が絡む)の透明性」という、まったく別のレイヤーの話をしているからです。
僕らが自分の金でB社(友人)に発注するのは、何の文句も言われません。自己責任ですから。
でも、それが「公金」や「政党交付金」という、元は国民や支持者から集めたお金だった場合、話は変わってきます。
ここで心理学の話が出てきます。
人間には「認知的不協和」というものがあります。これは、自分の信じていることと、目の前の現実が矛盾した時に、強い不快感を覚える心理です。
例えば、支持者が「維新=改革、クリーン」と信じているのに、「維新=身内企業に発注」という情報が入ってくると、「アレ?信じてたのと違うぞ?」と不協和が起きます。
この不快感を解消するために、支持者は「維新はやっぱり腐敗してるんだ」と結論づけるか、「これは何か理由があるはずだ」と必死で擁護するか、どっちかになりがちです。
橋下氏が恐れているのは、前者です。論理的に「効率的でした」と説明しても、一度「不信感」という感情が生まれると、その「空気」を覆すのは非常に難しい。
「いや、効率的だったから」という理屈は、「指を見て怒ってる人」に「月はあっちだ」と言ってるようなもので、なかなか伝わらないんですよね。
「創成期(カオス)」と「安定期(ルール)」のジレンマ
西野府議は「維新の創成期、とくに新人は本当に大変でした」「『身内の支え』でここまで来たのが維新」とも語っています。
これも、めちゃくちゃ本質を突いています。
これは、どんな組織にも、いや、僕自身の人生にも言えることです。
僕がアフィリエイトで独立する前、月5,000円のお小遣いで生活してた頃(人生の創成期(笑))は、そりゃもうカオスでした。
ルールも何もない。とにかく生き残るため、稼ぐために必死。それこそ、妻やその家族(身内)の支えがなければ、とっくに詰んでました。
でも、なんとか独立して法人化して11期目(安定期)に入ると、創成期と同じやり方ではマズいことが出てきます。
ちゃんと税理士さんにお願いして経理を透明化したり、法的なルールを守ったりしないと、社会的な信用を失うわけです。
武道や芸術でいう「守破離」の哲学と同じです。
- 守(しゅ):型(ルール)を忠実に守る段階。
- 破(は):型を破り、自分なりに応用する段階。(創成期はココに近い)
- 離(り):型から離れ、本質を掴んで自在になる段階。
西野氏が懐かしむ「創成期」は、まさに「破」のカオスなエネルギーの時代です。ルール度外視で突っ走る必要があった。
しかし、橋下氏が今求めているのは、公党としての「守」。つまり、「国民から見て分かりやすいルール(型)をまず守れ」ということです。
組織が大きくなれば、カオスな「破」の論理だけでは通用しなくなる。
それはまるで、創業当時はガレージで寝泊まりしてたIT企業が、上場した後も「その方が効率的だから」とガレージで取締役会をやってるようなものです。それはもう、効率的とかじゃなくて、ただの「場違い」なんです(笑)
お葬式で司会者が漫才を始めたら、いくら面白くても「いや、今それじゃない」ってなりますよね。コンテキスト(文脈)が大事なんです。
結論:僕らが本当に見るべき「月」とは何か
じゃあ、結局どっちが正しいのか?
僕みたいな本質主義者からすると、この議論で一番大事な「月」(本質)は、たった一つだと思っています。
それは、「その発注によって、公金(税金)は1円でも無駄遣いされたのか?」です。
これに尽きます。
もし、藤田氏の発注が、相場より高かったり、質が著しく低かったりしたのであれば、それは「身内びいき」というレベルではなく、単なる「汚職」であり「背任」です。即刻アウト。
でも、もし西野氏の言う通り、相場通りか、むしろ相場より安く、質も高く、納期も早く、担当者の手間も省けていた(=税金の効率的運用)のであれば。
それを「身内だから」という「指」だけを見て「悪」だと断罪するのは、それこそ「本末転倒」じゃないか?と思うわけです。
もちろん、橋下氏の言うように「疑念を持たれる『空気』を作ったこと」自体が、公党のリーダーとしての「悪」だ、という見方もできます。
難しい問題ですよね。
ただ、僕が一番嫌いなのは、「ルールを守るためのルール」になってしまうことです。
「身内びいきに見えないようにする」というルールの本質的な目的(=月)は、「税金の無駄遣いを防ぐため」のはずです。
そのルール(指)を守るために、あえて効率の悪い業者を選んで、結果的に税金(コスト)が余計にかかったとしたら、それこそ本質を見失ってるな、と。
まあ、政治の世界は僕らが思うより複雑なんでしょうけど(笑)
僕らは少なくとも、自分の仕事や人生において、「指」ばかりに囚われて、本当に大切な「月」を見失わないようにしたいものです。